日本 事件別
8月ソ連参戦
- 昭和20年4月1日にソ連は日本に対して、日ソ中立条約の廃棄を通告した。ソ連の参戦は日ソ中立条約違反(廃棄通告後1年は有効)で、満州や北方領土での悲劇を生んだ。
千島列島
- 8月18日最北端の占守島にソ連軍が上陸した。日本降伏後の攻撃であり、日本群守備隊は独自に防衛戦を展開した。優位に戦闘を進めていたが、命令により8月21日に停戦した。
- こののちもソ連軍による千島列島の各島の占領は続き、歯舞諸島の占領は9月5日のことであった。8月15日のポツダム宣言受諾から9月2日に降伏文書調印という、日本と連合国のあいだに停戦されるはずの期間にも関わらず、ソ連軍は攻勢を続けたのであった。
悲劇
- ソ連の対日参戦後の戦闘での日本軍の軍民合計の死者は、満州で6万人、樺太千島で5000人にも達した。さらに停戦後の死者は、満州18万5000人、朝鮮北部2万8000人、樺太千島1万人、そそてソ連領内で5万5000人の合計27万8000人と、停戦前をはるかに大きく上回っている。
- ソ連軍の捕虜となった日本兵はシベリアに送られ、労働に使役させられた。このシベリア抑留により、軍民合わせて100万人以上の日本人が極寒の地での強制労働に従事し、犠牲者数は諸説あり、推定で30万人以上が命を落としたとも言われる。